ショファイユの
幼きイエズス修道会

大阪信愛学院は、「ショファイユの幼きイエズス修道会」を母体として設立されたカトリック・ミッションスクールです。この修道会は 1859 年にフランスのショファイユで創立されました。
現在、フランス・日本・カナダ・ドミニカ共和国・アフリカチャド共和国・カンボジア・ハイチ共和国において、さまざまな活動をとおして、苦しむ人々、特に青少年、病人、老人、障害を持つ人々の命への奉仕と、キリスト教的教育を通してイエスの愛を証する使命を生きています。
日本における宣教は、創立者レーヌ・アンティエが、ベルナール・タデ・プティジャン司教の要請に応えて、1877 年(明治 10 年)に4人のフランス人シスターを派遣したことに始まります。

仁川本部修道院との連携

修道会の考えと連動し、学院をあげて寄付や訪問ボランティアの取り組みをしています。

卒業練成会(中学校)

中学校生活で得た信愛教育を振り返り、自分の身体と心の成長を確認し、新しい人生の出発の決意を固めます。さらにイエス・キリストの教えを通して、命の尊さや生きる意味とその目的について講話を聞き、静かに考える時を持ちます。

支援・ボランティア活動

修道会の考えと連動し、学院をあげて寄付や訪問ボランティアの取り組みをしています。

寄付・海外支援・
被災地訪問ボランティア(各校)

短大では、学園祭「楓祭」の収益金や「クリスマス献金」を、カンボジアの子どもたちの教育支援のため寄付しています。また、実際にカンボジアを訪問し現地の子供たちとの交流を深めています。
中学・高校では、アフリカチャド共和国・ドミニカ共和国・カンボジア・ハイチ共和国など、恵まれない地域への支援活動のため、文化祭の収益金や献金などを寄付しています。また、東北被災地訪問ボランティア活動は 10 年スパンで取り組んでいます。

創立者 レーヌ・アンティエについて
フランス革命の嵐も静まり教会が再び活気を取り戻した 1801 年 11 月 19 日、レーヌ・アンティエはフランスの中部オーベルニュ地方のローソンヌ村に誕生しました。生来豊かな天分に恵まれていた彼女は、活発で独創性に富んだ茶目っ気たっぷりの明るい子どもであり、一族から多くの聖職者を出した信仰の家族を背景に成長しました。幼少期の喜びは、「多くの人々が神を知り、神を愛するようになる」こと。1821 年、「ル・ピュイ・アン・ヴレの聖なる幼きイエズス教育会」の会員として神への奉仕に生きる誓約を行い、正式会員となりました。
1846 年にはニコラ・ランベール神父の嘆願に応えて、教育会のシスターたちと共にソーヌ・エ・ロワール県のショファイユに派遣され、教育の機会に恵まれない地方の女子の自立を支援する目的で学校教育に取り組みました。1859 年に「ショファイユの幼きイエズス修道会」は教会公認の修道会として正式に誕生し、レーヌ・アンティエが総長に選出されました。
「神の愛を告げ知らせるためなら地の果てまでも行きたい」と熱意に燃えていた彼女は、1877 年(明治 10 年)7 月、プティジャン司教の要請に応えて4人のフランス人シスターを日本に派遣しました。日本での宣教が始まり、大阪信愛学院が設立されました。その後、レーヌ・アンティエは、1883 年に 82 歳でショファイユの母修院にて永眠しました。